【自分が楽しいと思えることが人の幸せに繋がる】
ついつい人のため、何かのためって自分の思いを抑え込んで頑張ってしまうことがよくあります。
12/5(土)、蜜柑の木さん主催の「不登校講演会と命のお話会」で話す機会をいただきました。
自身が子どもたちと関わってきた経験や、鬱のことを中心にお話しさせていただきました。
僕は今にじっこや虹の学び舎で、学校とは違う立場で子どもたちと関わっています。
子どもたちの中には集団生活に馴染めなかったり、様々な理由で学校に通うことが苦しかったりする子たちがいて。
自分が教師をしていた時にも、苦しい思いを抱えている子どもに何度も出会いました。
その子の気持ちを救ってあげられない自分に無力さを感じることも、数えきれないほどありました。
自分の余裕のなさに、言いたくもないことを言ってしまっている自分に、罪悪感を抱えながら教師をしていました。
今となっては、その子たちに懺悔することも、何かを返していくこともできません。
だから、今自分が関わっている子や、これから関わっていく人たちに、返す方法を探しているのかもしれません。
今は教師を辞めて、鬱を経験したからこそできる関わり方があるんじゃないかと思っています。
にじっこに自分が見守り隊として参加しているのは、自分にとっても心地良い居場所であるからで。
否定しない、怒らない、縛らない、求めない、そういう思いを持って子どもたちと過ごす時間は楽しくて、愛しくてたまらない時間です。
いつも平和なわけじゃなく、トラブルももちろんあるけれど、まるごと全部受け止めて、一緒に考えて、一緒に過ごす。
にじっこに来ている間だけでも、少しでも気持ちが緩むように、安心して過ごせるように。
いつもただ、それだけを願って活動しています。
かつて進路を考えた時、子どもと関わるのが好きな自分にできる仕事は教師くらいしか知りませんでした。
でもきっと、僕は教育や指導といったものには向いていなかったんです。
だからにじっこに出会って、自分が輝ける場所が見つかったような気がします。
大袈裟でなく、生きる意味と希望をもらいました。
自分がやっていて心から「楽しい」とか、「幸せだな」と思えることって、それを求めてる人も必ずいて。
そこが繋がる場所が、1番自分が輝ける場所なんだと思います。
素のままの自分で、幸せを感じることができる人生を探し続けていたい。
見通しとか、目標とかを持てって言われる世の中だけど、先を見ることが不安になったり、怖くなったりすることだってあります。
今できることを、小さなことだっていいから、少しずつやればいい。
それが誰かのためでなくてもいい、その時間はきっといつか誰かを救う力になるから。
人前で話す機会をいただき、改めて自分の中の大切にしていることが再確認できた気がします。
貴重な時間を使って会場に足を運び、聞いてくださった皆さんのおかげで、このような場を持つことができました。
本当にありがとうございました。